何度でも会いたい人とダメな人

グータラのていねい暮らし

最近、「恋愛」をテーマにして考える必要があって、片っ端から恋愛映画を見ているのだけど、最大のヒットは Before Sunrise。『恋人までの距離』という邦題が恥ずかしすぎてこれまで見ていなかったが、リンクレイターの3部作をイッキ見。

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さて、これを見て何を思ったかというと、楽しい ! < 面倒くさい ! となるのが老化であると考えていたが、実は実年齢とは関係なく、この年になっても自分の中で 楽しい ! >面倒くさい ! の部分は結構残っているということ、そしてそれはものすごく重要案件であるということの再発見。おそらく、人間を怠惰から、疲労から、ストレスから、育児放棄から、不登校から、はたまたセックスレスから守ってくれるものというのは、この「楽しい」という感覚しか存在しないのではないか。映画の二人は、24時間喋りっぱなし、歩きっぱなし、笑いっぱなし。それだけ。そして、見ていて全く疲れない。

仕事、友人や家族とのつきあいで、ここ数日、異様に疲れるパターンと、全く疲れないパターンを経験した。前者は、間違いなく体力的には楽だったにもかかわらず「楽しい、ワクワク、流行りのトキメキ」が半端なく足りなかったせいで、結果的に異様な疲労と体調不良がのこった。

そして、本日、ぜ〜んぜん疲れない方の代表的存在である友人が、「いかにプラスチックゴミの削減にとりくむか?」という講演を多くの人の前でするのを聞いていた。突然、彼は言った。「楽しんでやれ〜」と。なぜか、この部分だけ音量倍増で耳に飛び込んできた。どれくらいの人が正確なメッセージを受け取ったかはわからないが、彼は、自分の得意分野を通してものすごく本質的なことをのびのびと語っていた。

そう、私の疲れない愛する人たちはみんな、そしてあえていうが、私自身も、この「本質的のびのび」ができる。(面白いことに、その子どもたちもそう。)入り口が恋愛だろうがゴミ問題だろうが、教育問題だろうが、介護問題だろうが、宗教問題だろうが、金儲けだろうが、アプローチが違うだけで、いきつくところは同じ。生きるとは「損得、善悪」ではない。この部分が共通している人と時を過ごすことは、老若男女問わず全く疲れない。そうでない人は、秒でわかる。私の動物としての嗅覚は、この点においてなかなか鋭い。

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